【土井家】広島県賀茂郡兼沢村

私の高祖母・小川ロヨの実家・土井家です。

 

戸籍から分かっていた名前はロヨの父・土井敬左衛門だけでしたが、、

 

小川家のときも参考にさせていただいたページ

nehori.com

の兼沢村の項目を見てみると、

庄屋 土居敬左衛門 天保3年

長百姓 土居敬左衛門 慶応2年 

 「土井」でなく「土居」ですが、同じ名前。期待が高まります。

同じ項目に、

下記の文献が残っている。

・内田家文書(賀茂郡兼沢村戸長・村会議員を勤めた内田家に伝来した文書)
・土井家文書(賀茂郡兼沢村で給庄屋を勤めた土井家に伝来した文書)

とあったので、検索してみると兼沢村の土井家が残した「作帳」というものがあり、その作帳について検討した本「安芸国土井家作帳の研究 後藤陽一著」というものが出ていることが分かったので、いつもの「日本の古本屋」で購入しました。

 

この本によると「作帳」とは、

天明7年から明治20年まで101年間のあいだ、兼沢村の土井要蔵、その子・治兵衛、さらに治兵衛の子・敬左衛門の三代に渡って書き継がれたものである。

 

年次を追って記載内容に多少の疎密はあるが、101年間を通してほとんど記録を欠かないのは米の収穫量。その他、裏作の麦などの収穫量。農繁期の労働組織について、人員や賄い。気象や他村内外の事件等についても記載されたもの。

 

その中身についてはよく分かりませんが、几帳面な人たちだったようです。

 

また、こんな記載もありました。

土居は屋号で、本姓は内田であったが、明治3年平民に氏の称が許可されたので、屋号をとって姓とされたもののようである。しかも土井と称されたので、本文はすべて土井家に統一した。

土井=土居だとわかりました。

 

治兵衛が筆録した「村方諸色旧記帳」も史料として収録されていて、このなかには

土井家は足利尊氏に仕えた内田左京亮貞友の後裔と伝え、万治以降代々長百姓を勤めたとあります。また、代々の名や「縁段之覚」など貴重な情報満載でした。

持っている戸籍の情報と合わせてみるとこんな感じになりました。

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土井家

年代的にも、檜原家との繋がり的にも間違い無いのではと思います。

高祖父・小川又次郎の母・リセと高祖母・ロヨの母・たきが姉妹だと分りました。

高祖父母はいとこ同士の結婚だったのですね。

 

 かなり遡ることが出来ました。

家系で分かったことはここまでですが、

「作帳」についてはもう少し読んでみようと思います。