2020-01-01から1年間の記事一覧

宮城漫遊記2020

2020/9/19~9/20の1泊2日で宮城の先祖が住んだ地を巡ってきました。 9/19は朝4時半頃にマイカーで自宅を出発。 途中PA/SAで多めに休憩しながら北上し、10時頃に最初の目的地に到着 我が平間家が北海道へ移住する前に住んでいた宮城県柴田郡沼田村があった地…

【村上家】宮城県柴田郡沼田村→北海道空知郡音江村→網走郡網走町大字藻琴村→川上郡熊牛村大字熊牛村→斜里郡小清水村

私の曾祖母・平間たつのの実家・村上家です。 たつのは私の父の父の母です。 戸籍上で最も古い村上姓の名前は、たつのの高祖父・村上養助です。 私から見ると7世の祖父です。 取得できた最も古い戸籍は5世の祖父・安兵衛の兄・庄五郎が戸主のもの。 その中に…

【小川家】広島と北海道を行ったり来たり

足取りが分かりにくかった母方祖母の家系・小川家 年表にしてみたので載せてみます。 小川家の足取りは、広島→北海道→広島→北海道という感じでした。一度戻った広島から再び北海道へ行くことになった理由は何だったのでしょうか。。気になります。 和暦 西暦…

私の直系尊属まとめ、ランキングなど

私の直系尊属の戸籍はほぼ取得し終わったので、まとめてみる。 ○戸籍から判明したご先祖 曾祖父母 8/8人 高祖父母 16/16人 五世祖父母 29/32人 六世祖父母 25/64人 七世祖父母 1/128人 戸籍以外の、親族からの情報や学術資料等で10代以上判明している家系は…

【大竹家】広島県佐伯郡井口村→北海道厚岸郡若竹町

私の曾祖母・小川ミツヨの実家・大竹家です。 ミツヨは私の母の母の母です。 戸籍上で最も古い大竹姓の名前は、ミツヨの祖父・大竹文四郎です。 私からだと5世の祖父になります。 ミツヨの父・勘兵衛の亡父として名前のみ分かっています。 広島県に戸籍を請…

【渡辺家】「ある百姓の覚え書き:渡辺家文書調査報告書」を調べてみたが、、

私の父の父の・・と辿っていった5世の祖父である渡辺儀七について、 ちょこちょこと調べているなかで、ある資料を見つけました。 「ある百姓の覚え書き:渡辺家文書調査報告書」 https://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc_srh/srh_detail/1100853588/ 仙台…

【上家】和歌山県那賀郡円明寺村→奈良県吉野郡十津川村→北海道川上郡弟子屈村

私の曾祖母・玉置カネの実家・上家についてです。 カネは私の母の父の母です。 カネは明治41(1908)年に生れました。 戸籍上で最も古い名前は、カネの曾祖父・上 重次郎です。私からだと六世の祖父になります。 重次郎は五世の祖父・上 勝右衛門の養父として…

【冨宅家】また十津川村歴史民俗資料館に聞いてみた。

冨宅家の戸籍から新たな十津川村に関係のあるご先祖の名前が分かったので、 また手紙を書いてみました。 前回玉置家について問合せたときの担当さんは 昨年度で退職されてしまったそうですが、 新しい担当さんがまた調べてくださいました。 ・六世の祖父・冨…

【冨宅家】奈良県吉野郡玉垣内村

私の高祖母・玉置ヤスノの実家・冨宅家についてです。 ヤスノは私の母の父の父の母です。 ヤスノは明治17(1884)年に冨宅一冨、いしの長女として奈良県吉野郡玉垣内村で生れました。 戸籍上で最も古い名前は、いしの父・冨宅安直です。 一冨は明治11(1878)年…

【迎井家】奈良県吉野郡茄子原村

私の高祖母・吉岡ナツの実家・迎井家についてです。 ナツは私の父の母の母の母です。 ナツは明治19(1886)年に迎井新太郎の長女として、奈良県吉野郡茄子原村で生れました。 戸籍上で最も古い名前は迎井新太郎の父・久三郎です。 ナツは明治36(1903)年、19歳…

【吉岡家】奈良県吉野郡茄子原村→北海道上川郡士別村

私の曾祖母・吉田テルの実家・吉岡家についてです。 テルは私の父の母の母です。 テルは明治41(1908)年に吉岡豊治郎の二女として、奈良県吉野郡茄子原村(現:五條市)で生まれました。 吉原家は明治45(1912)年に北海道上川郡士別村に移住するのですが、士別…

【安原家】徳島県板野郡七條村

私の高祖父・吉田幸平の実家・安原家についてです。 幸平は私の父の母の父の父となります。 幸平は明治10(1877)年に安原音吉の四男として、徳島県板野郡七條村で生まれ、明治33(1900)年に23歳で婿養子として吉田家に入りました。 妻は吉田安蔵の二女・タケで…

【我妻家】宮城県刈田郡宮村

私の高祖母・平間なつの実家・我妻家についてです。 なつは私の父の父の母の母となります。 なつは明治11(1878)年に我妻甚右エ門の二女として、宮城県刈田郡宮村で生まれました。 戸籍上最も古い名は亡父として記載されている甚右エ門の父・勘右エ門です。 …

【玉置家】十津川郷士について十津川村歴史民俗資料館に問い合わせてみた

下の記事で岸本先生から十津川村歴史民俗資料館に訊ねてみては?と アドバイス頂いたので、問合せてみました。 kensuke1108.hatenablog.com ホームページが無いようでメールアドレスも公開されておらず、 住所と電話しか分からなかったので、手紙を出しまし…

【土井家】広島県賀茂郡兼沢村

私の高祖母・小川ロヨの実家・土井家です。 戸籍から分かっていた名前はロヨの父・土井敬左衛門だけでしたが、、 小川家のときも参考にさせていただいたページ nehori.com の兼沢村の項目を見てみると、 庄屋 土居敬左衛門 天保3年 長百姓 土居敬左衛門 慶応…

古民家山十邸

つるし雛を見に近所の古民家山十邸に行ってきました。 ここは明治16(1883)年に建設された中津地区の豪農熊坂半兵衛の邸宅として作られたそうです。「山十」は屋号。半原の宮大工棟梁として知られる矢内家の三兄弟、右仲・左仲・左文治によって建てられたそう…

【庄司家】新潟県の羽越本線・新発田駅と村上駅の官舎について

下記の記事書いた、戸籍に書かれた駅 羽越本線新発田駅と村上駅の官舎についてです。 kensuke1108.hatenablog.com 羽越本線というのは、新潟県新潟市の新津駅から日本海沿岸を経て秋田県秋田市の秋田駅までを結ぶ路線だそうです。路線についての詳細はウィキ…

【渡辺家】宮城県柴田郡船岡村

私の曾祖父・平間吉五郎は1893(明治26)年に、宮城県柴田郡船岡村の渡邉留吉の四男として生まれました。その後、平間源左エ門の養女・たつのの婿養子として平間家に入りました。 戸籍上で最も古い名前は、吉五郎の父の父・渡辺儀七です。名前のみ判っています…

直系家系図

現時点での直系家系図を作成したので載せてみます。 まだまだ請求出来る家系がありますが、子供世代から見ると壮大ですね。 kensuke1108.hatenablog.com 公開できないかもしれませんが、 弟からの依頼で、弟の奥さんの家系も調査中です。

海に囲まれて ここで生まれた♪

小田和正のそんな唄がありますね。 戸籍謄本には出生した場所、死亡した場所が書かれていますが、 ほとんどが「本籍に於いて出生 / 死亡」だったり、本籍ではない場所なら住所で「どこどこに於いて出生 / 死亡」というのが殆どですが、いくつか珍しい場所の…

【もうひとつの庄司家】庄司家の住んだ地が分かった

ここです。 ご先祖が住んだ米沢山上裏町の土地は、米沢市通町5丁目の進運貨物さんの右2つ隣あたりだとわかりました。 除籍謄本の番地で旧土地台帳を請求すると庄司吉次の名前がありました。 台帳によると明治27年にこの土地を取得しています。手放したのは…

【玉置家】十津川郷士について奈良県立図書情報館に相談してみた

奈良県立図書情報館にメールレファレンスで千葉松治、玉置勘二郎について何か情報がないか聞いてみたところ、下記のように丁寧な回答を頂きました。 【回答】十津川鄕士の個人名が載っている以下の資料を確認しましたところ、千葉姓や玉置姓の方は何名か記載…

【玉置家】十津川郷士について岸本良信先生に相談してみた

母の実家の家系・玉置家についてです。 昔の戸籍には「士族」や「平民」という旧身分が記載されていたのですが、 差別の原因となるため現在取得するものは白く抹消してあるそうです。 ただ、たまに消し忘れもあるそうで、私も1ヶ所だけ見つけました。 私の…

【もうひとつの庄司家】山形県南置賜郡米沢山上裏町(→新潟県岩船郡上海府村)

今回は妻の祖母方の曾祖母の実家・庄司家です。 妻の実家と同じ庄司という姓なので、もしかして関係あるのか?!と調べてみました。 妻の曾祖母・齋藤志ん(1900~1987)は、明治33年に庄司吉次(1874~1946)、さの(1879~1951)夫妻の長女として山形県南置賜郡米沢…

糸の町 半原に生きて-小島茂平 遺稿集-

近所に町内の人しか来ないようなカフェがあるんですが、 そのカフェの前に箱が置いてあり、中には数十冊の本が入っています。 読みたい本が有れば勝手に持っていっても良い、その代わり読み終わった本を置いていってくださいね、ご近所で回し読みしましょう…

玉置家と小川家の出会い

私の母方の祖父の家系・玉置家と祖母の家系・小川家の出会いについて、 千葉県に住む小川家の親族の方からのお手紙で判明しました。 母方の祖父・玉置冨雄は跡佐登(アトサノボリ)鉱業所に勤めていました。 (【玉置家】祖父の手記という記事で書いてます。)…

家系のインデックス(随時更新)

直系家系図です。(更新:2021/07/24) 見にくかったので分割しました。 ▲私と妻の直系家系図 家の名【本貫地(現在の地名)】<家紋>の順に記載です(現在18系統)。 <<私の家系>> ▲祖父母世代までの平間家、渡辺家、我妻家の系図 平間家【宮城県柴田郡沼…

【齋藤家】山形県飽海郡山寺村→(北海道十勝郡浦幌村)→(釧路市大字釧路村字茂尻矢)→釧路市川上町

妻の祖母の家系・齋藤家です。 北海道での齋藤家の歴史は少し複雑です。 戸籍上では妻の曾祖母・齊藤志んが昭和28年に山形県飽海郡の戸籍から北海道釧路市川上町に新たに戸籍を作り移住したように読み取れます。 (釧路市川上町の戸籍で齋藤→齊藤になってる…

【増井家】新潟県西蒲原郡横戸村→北海道虻田郡弁辺村→釧路市桜ヶ丘

妻の父の母の家系・増井家です。 北海道での増井家の歴史は、明治33年に妻の高祖父の父・増井籐八が新潟県から北海道虻田郡弁辺村(現在の豊浦町)に移住したことに始まります。 戸籍から分かる最も古い名は、増井藤八の父・増井重寿計、母・ミネです。 「重…

川崎大師平間寺

厄除けで有名な川崎大師に初詣に行ってきました。川崎大師は通称で、正式には「平間寺」なのです。 パンフレットから抜粋しますと、 平安時代、第75代崇徳天皇の御代(1123〜1141)、平間兼豊・兼乗という武士の親子が無実の罪で生国尾張(今の名古屋地域)を追…