今回は妻の祖母方の曾祖母の実家・庄司家です。 妻の実家と同じ庄司という姓なので、もしかして関係あるのか?!と調べてみました。 妻の曾祖母・齋藤志ん(1900~1987)は、明治33年に庄司吉次(1874~1946)、さの(1879~1951)夫妻の長女として山形県南置賜郡米沢…
近所に町内の人しか来ないようなカフェがあるんですが、 そのカフェの前に箱が置いてあり、中には数十冊の本が入っています。 読みたい本が有れば勝手に持っていっても良い、その代わり読み終わった本を置いていってくださいね、ご近所で回し読みしましょう…
私の母方の祖父の家系・玉置家と祖母の家系・小川家の出会いについて、 千葉県に住む小川家の親族の方からのお手紙で判明しました。 母方の祖父・玉置冨雄は跡佐登(アトサノボリ)鉱業所に勤めていました。 (【玉置家】祖父の手記という記事で書いてます。)…
直系家系図です。(更新:2021/07/24) 見にくかったので分割しました。 ▲私と妻の直系家系図 家の名【本貫地(現在の地名)】<家紋>の順に記載です(現在18系統)。 <<私の家系>> ▲祖父母世代までの平間家、渡辺家、我妻家の系図 平間家【宮城県柴田郡沼…
妻の祖母の家系・齋藤家です。 北海道での齋藤家の歴史は少し複雑です。 戸籍上では妻の曾祖母・齊藤志んが昭和28年に山形県飽海郡の戸籍から北海道釧路市川上町に新たに戸籍を作り移住したように読み取れます。 (釧路市川上町の戸籍で齋藤→齊藤になってる…
妻の父の母の家系・増井家です。 北海道での増井家の歴史は、明治33年に妻の高祖父の父・増井籐八が新潟県から北海道虻田郡弁辺村(現在の豊浦町)に移住したことに始まります。 戸籍から分かる最も古い名は、増井藤八の父・増井重寿計、母・ミネです。 「重…
厄除けで有名な川崎大師に初詣に行ってきました。川崎大師は通称で、正式には「平間寺」なのです。 パンフレットから抜粋しますと、 平安時代、第75代崇徳天皇の御代(1123〜1141)、平間兼豊・兼乗という武士の親子が無実の罪で生国尾張(今の名古屋地域)を追…
妻の母方の家系・武藤家です。 北海道での武藤家の歴史は、大正4年に妻の曾祖父・武藤市郎が梅田モトメと結婚と同時に、福島県東白川郡小爪村から北海道白糠郡音別村に分家したことから始まります。 モトメも福島県のひとです。 分家していますが、市郎の兄…
始まりましたね。 今年も忙しくなりそうです。 うちの会社には全国津々浦々からの出身者がいるので、お土産も色々です。 北海道の「ピンクなブラックサンダー」 宮城県の「ゆべし生さぶれくるみ入り」 岩手県の「サクッとかもめの玉子」 長野県の「栗ぱい」 …
妻の家系の庄司家。 北海道での庄司家の歴史は、妻の祖父・庄司六郎が昭和28年に婚姻と同時に秋田県由利郡下川大内村から北海道釧路市桜ヶ丘に新戸籍を設けることで始まります。 六郎が22歳のときです。入植では無いでしょうね。 秋田に仕事がなかったため、…
母方の祖母の家系・小川家についてです。 戸籍で最も遡れたのが、高祖父・小川又次郎の父・小川又兵衛の父である小川新十郎でした。 そこで「小川新十郎」で検索してみたら、以下のページがヒットしました。 nehori.com なんと「芸藩通志」に小川家について…
私の住む町がこんな動画を公開していました。 故郷ではないので懐かしさはないですが、昔の暮らしが分かり面白いです。 全部見ても30分かかりません。 www.youtube.com (私が務める会社もちょびっと出てきます。)
主に父から聞いた話。 祖父・平間太四郎は北海道網走郡網走町で生まれた。 高祖父・源左ェ門の孫として北海道雨龍郡一已(いちやん)村の戸籍に入り、 1941年(19歳)のときに、曾祖父・吉五郎が分家し北海道川上郡標茶村沼幌に戸籍を移した事になっている。 し…
母方の祖母の家系・小川家。 北海道での小川家の歴史は、高祖父・小川又次郎の弟・小川兼吉が明治38年に厚岸郡大田村字片魚去番外地に分家することから始まります。 明治42年に厚岸の小川兼吉・ツルト夫婦と曽祖父・小川秀夫が養子縁組を結びます。 しかし、…
またまたtさんより有力なと言うより、確かな情報頂いたので、 再々度、旧土地台帳を請求しました。 宮城県柴田郡沼辺村大字沼田字地ノ内145番地 コメント頂いたときは気が付きませんでしたが、 平間政治は源吉の息子なので、相続が逆転?してますね。これは…
北海道での玉置家の歴史は高祖父の父・玉置勘二郎(1850~1939)が奈良県吉野郡十津川村大字玉垣内から北海道川上郡屈斜路村御料地(現・弟子屈)に入植したことに始まります。 高祖父・玉置岩太郎、ヤスノ夫婦と孫3人と一緒でした。妻・こべんは奈良県で明治39(1…
妻の家系を調べるため釧路市役所に戸籍を請求しました。 まずは妻の父の家系・庄司家から調べようと申請書を送ったのですが、 「他の姓はどうしますか?」と電話で確認が来たので「お願いします」と言ったところ、 妻の父の母の家系・増井家、妻の母の家系・…
それぞれ江戸時代に住んでいた地から入植した地に線を引いてみたが、これでは飛行機で来たようである。 調べてみると、北海道への移動手段として「北前船」というものがあったようだ。 平間家は東回り航路にて宮城県から青森、函館を経由して小樽で上陸し陸…
コメントでtさんから情報いただいたので、宮城県の平間源三郎と渡辺留吉の旧土地台帳を仙台法務局大河原支局に請求しました。 ①平間源三郎 沼田村の地引帳(明治八年)に字地の内に平間源三郎という名があったと情報いただきました。 戸籍上の最古の住所が宮城…
父の母の家系【吉田家】の北海道での歴史は、高祖父・吉田幸平(1877~1946)が徳島県板野郡松島村から北海道上川郡神楽村(現旭川市)に入植したことに始まります。 妻・タケと四男三女と共にやってきました。 戸籍上で最も古い名は、幸平の義父・吉田安蔵の父・…
同窓会を終えた日曜日、飛行機までの短い時間でしたが実家に戻り、裏ミッションの墓参りをしてきました。そこで父方の「平間家」と、父の母の家系「吉田家」の家紋が判明しました。 平間家は「上がり藤に違い鷹の羽」 吉田家は「井桁に橘」 これは日蓮宗の寺…
で1泊2日の北海道帰省。 寒いですね。駅前の古本屋で郷土史探して、じいちゃんの墓参りするのが今回の裏ミッション。 2019/12/11追記 飛行機が間に合わず参加できなかったのですが、 小学校開校100周年記念式典が開催されており、そのついでに行われた同窓会…
北海道での平間家の歴史は高祖父の父・平間源吉(1843~1934)が一家で宮城県柴田郡沼田村から上川郡上名寄村字名寄太に入植したことに始まります。妻・せき、養子1人と次男・源左ェ門夫婦、孫・たつの夫婦と曾孫の計8人でやってきました。 宮城での暮らしぶり…
北海道保健福祉部福祉局から届きました。請求してから約2週間でした。 氏名 平間太四郎 履歴 年月日 進級任官 記事 昭和18 4 1 二等兵 現役兵として歩兵第125連隊第7中隊に入営 7 1 第12中隊に編入 7 9 樺太駐屯のため札幌出発 7 11 上敷香着 7 13 上敷香出…
父方の祖父の手記は残ってないが、父から色々話を聞いているのでそのうちまとめたいと思っている。 その中で祖父は戦争に行く前に雨竜ダムの工事に関わっていたという話を聞いたので、それ関係の書籍など探していたところ、森村誠一の「笹の墓標」という小説…
母の母の家系「小川家」は広島県から来たらしい。広島県呉市→北海道根室市→嫁いで弟子屈という足取りと思っていた。まずは根室から戸籍を取り寄せたところ、母の母の兄弟のうち長男長女は厚岸郡厚岸町で生まれている。二女から母の母である四女は広島県呉市…
私が8才の頃に亡くなった母方の祖父の手記を北見の伯母から送ってもらったので、 書き出してみる。 <<昭和63年記「生まれてから過去を振りかえってみた事」玉置冨雄>> 私の生まれた所 川上郡弟子屈町屈斜路ポント市街地区29番通り 私の両親 父・・・・玉…
父方の6代前 源三郎は宮城県柴田郡沼辺村大字沼田〇〇番地に住んでいた。 5代前の源吉が宮城県から北海道の上名寄村、そして雨竜郡一已村に移り住んだ。 まだここらへんの経緯など追えていない。 まずは宮城県で出来ることをやろうと思い旧土地台帳を請求し…
奈良県吉野郡十津川村に請求していた戸籍が届いた。 母の家系 玉置家は大正3年に奈良県吉野郡十津川村から北海道の弟子屈にやってきた。 5代前の玉置勘二郎が長男夫婦と孫3人を連れてやってきた。 (妻の「こべん」は十津川村で既に亡くなっている。) 十津…
父方の祖父が戦争でサハリンに行っていたと聞いていた。 家系図について調べていたら、「兵籍簿」というものがあり、 無料で請求できるらしいので早速北海道庁に請求してみた。 参考 dotouttan.hatenablog.com schliemann.tokyo togetter.com