【玉置家】奈良県吉野郡十津川村から弟子屈村へ

奈良県吉野郡十津川村に請求していた戸籍が届いた。

母の家系 玉置家は大正3年奈良県吉野郡十津川村から北海道の弟子屈にやってきた。

5代前の玉置勘二郎が長男夫婦と孫3人を連れてやってきた。

(妻の「こべん」は十津川村で既に亡くなっている。)

十津川村から北海道移住と言えば十津川水害による移住が有名らしいのだが、

これは明治22(1889)年あたりの話で、大正3年は1914年だから、25年後になる。

勘二郎の移住は水害とは関係なさそう。新十津川村は空知あたりで遠いし。

 

関係ありそうなのは、勘二郎の妹ふゆ。

ふゆは明治22年に嫁ぎ先 西十津川村大字西中の林家から復籍してる。

十津川水害の際にこの大字西中では西川の増水により

流失2戸、全壊7戸、半壊6戸、2名死亡の被害にあっているとのこと。

(「シリーズ日本の歴史災害2十津川水害と北海道移住」より)

このとき夫を亡くしたので、玉置家に復籍したのだろうか。

 

勘二郎の移住に話を戻す。

以下の資料「弟子屈町農業の概要」によると

https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/material/files/group/17/SCAN-8142.pdf

"本町の農業は、明治32年以降大正4年まで数回に渡って富山、香川、愛媛、徳島、
茨城、高知、福島、奈良の各県から御料地に百数十戸の移民が入植したのが本格的な始
まりである。"

とのことなので、きっかけは分からないが農業をやるために北海道にやってきたのだろうか。もう少し弟子屈町の歴史を調べてみよう。

 

ちなみに、玉置という苗字は十津川村の玉置川が由来らしい。