【平間家】三度目の正直の旧土地台帳
またまたtさんより有力なと言うより、確かな情報頂いたので、
再々度、旧土地台帳を請求しました。
コメント頂いたときは気が付きませんでしたが、
平間政治は源吉の息子なので、相続が逆転?してますね。これは、、
戸籍によると源吉は明治8年に平間源三郎から相続し戸主となってましたが、
明治15年に「逃亡」し、三ヶ年が経過したため、明治20年に息子の政治が相続します。
(計算合わないですが、戸籍には上記のように書いてる。)
旧土地台帳は明治20年頃からの記録なので、最初の所有者が政治となっています。
しかし、明治22年に政治が死亡します。
なので、源吉が再相続という形で明治24年に再び戸主となります。
明治22年から24年の間の空白の2年はなんなのでしょう?
24年に源吉が「逃亡」から帰ってきたということでしょうか。
「逃亡」というのは勝手に本籍地を離れ、他国でも課役を負担してない状態、とのこと。何をやっていたのか、謎ですね。
そして明治37年12月に「半沢藤助」という人に所有権が渡っています。
戸籍上では、源吉が北海道上川郡上名寄村に転籍したのが明治41年となってますが、
実際は、4年前の明治37年~38年には北海道にいたのかもしれません。
ちなみに半沢という姓は、平間家の戸籍上のどこにも出てこないので、
まったく関係ない人でしょう。
「逃亡」「戸籍」で調べてみると、高校・日本史のページが沢山出てきますが、
授業で習った覚えがまったく無いです。
20年弱も昔のことだからでしょうか。高専だから習わなかったんでしょうか。
もっと歴史の勉強しておけばよかった!と思うことが多々あります。