糸の町 半原に生きて-小島茂平 遺稿集-

近所に町内の人しか来ないようなカフェがあるんですが、

そのカフェの前に箱が置いてあり、中には数十冊の本が入っています。

読みたい本が有れば勝手に持っていっても良い、その代わり読み終わった本を置いていってくださいね、ご近所で回し読みしましょうという所です。

私もたまに覗いては数冊頂いて帰ります。

タイトルの本もその中の一冊です。

 

神奈川県愛甲郡愛川町半原で生まれた小島茂平さんがお調べになったことを「県央史談」や「神奈川ふだん記」に投稿したものを一冊の本にまとめたものだそうです。

 

ご先祖が半原だという方には非常に参考になる本だと思いますが、

私的にも参考になる話が書いてあったので少し書き出してみようと思います。

 

私の五代ほど前の親のときに火事を出し、現在私が住んでいる屋敷に移ったという。おそらくそのころから、火元の家は焼け跡には住まないという習慣があったのだろう。私が体験している昭和二十年代までは、そうであった。半原村に十三戸しかなかった頃からの旧家であるが、火事を起こして三沢越させられて現在の地に移ってきたという家もある。

 

隠居分家といって、家は跡取りに譲り、親が次三男を連れて分家し、その次三男を戸主にして新しい独立した家を建てるという分家の方法がある。

 

山中湖村の村長さんから、古い本家と分家のあいだで、相互に仲人を務めあっているという話を聞いた。岩手県江刺市のように一族の本家分家の結びつきが強い土地では、婚礼のときに一番権威を持っているのが本家の主人である。本家と分家でたがいに仲人をつとめあい、しかも仲人を親と同じように扱うという習俗は、一族の結びつきを重んじる社会制度の一つの表現で、その機能は同一であることに気づいた。 

 

家にはオモテモンとウラモンがある。オモテモンは丸に橘であるが、木には根っこがあるのが正しい。ウラモンは九曜の星であると、息子にさとすように言いながら仕上げてくれた。

家に紋所があることぐらいは子供心に知っていたが、ウラモンとは初耳であった。表紋に対する裏紋であろう。

昭和二十六年1月に刊行された柳田國男監修の『民俗学辞典』が高校の図書室で利用出来るようになって、ウラモンの謎も解けた。その「家印」の項目に、神奈川県の北部山間では、普通の家紋を表紋といい、家印を裏紋と称しているとある。同じ家紋を使う家々で、さらに家ごとの違いを表す紋が裏紋らしいことが分かった。

 

家系図に関係ありそうな話はこれくらいで、

その他は絹撚糸の歴史について詳しく書かれています。