【上家】和歌山県那賀郡円明寺村→奈良県吉野郡十津川村→北海道川上郡弟子屈村

私の曾祖母・玉置カネの実家・上家についてです。

カネは私の母の父の母です。

 

カネは明治41(1908)年に生れました。

 

戸籍上で最も古い名前は、カネの曾祖父・上 重次郎です。私からだと六世の祖父になります。

重次郎は五世の祖父・上 勝右衛門の養父として名前だけ出てきます。

勝右衛門は谷田利右エ門の次男として嘉永2(1849)に和歌山県那賀郡谷村で生れました。その後、明治7(1874)年に上家に養子として入ります。

明治7年3月に養子になって、4月には重次郎が亡くなって相続しているので、もう重次郎が危ないと分かっていて家を続かせるために養子として勝右衛門を迎えたのでしょうか。

 

明治9(1876)年には勝右衛門とキミエの長男として、私の高祖父・上 政太郎が生まれます。そして、明治43(1910)年、34歳のときに田ノ岡六之助の四女・トラノと結婚します。その際に、曾祖母・カネが認知されます。

 

カネの父の欄には上 政太郎、母の欄にはトラノとあるので、政太郎とトラノが結婚する前にカネを授かっており、何らかの理由で結婚が遅れたため一旦はトラノの父・田ノ岡六之助の戸籍に入った後、無事結婚し、カネを認知したという感じでしょうか。

 

一家は大正3(1914)年4月に奈良県吉野郡十津川村に移住し、同年10月には北海道川上郡弟子屈村大字屈斜路村御料地に入植します。

 

同年同月に、後にカネが嫁ぐ玉置家も十津川村から屈斜路村御料地へ移住しています。

弟子屈町農業の概要」という資料には和歌山県からは入植が無いようなので、上家は北海道へ移住するために一旦十津川村へ移住し準備したと思われます。

https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/material/files/group/17/SCAN-8142.pdf

 

昭和2(1927)年、北海道に入植して9年、カネが20歳のときに玉置久雄と結婚します。

同じ時に北海道へ入植した縁があったのでしょう。

 

<上家直系譜>

上 重次郎→上 勝右衛門→上 政太郎→上 カネ・・・

 

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▲祖父母世代までの上家の系図