【上家】「紀伊国名所図会」に見る円明寺村

私の曾祖母・玉置カネの実家・上家が住んでいた円明寺村についてなにか分かればと、ネットで見つけた本を買ってみました。

 

2011年に和歌山県立博物館で開催された特別展「中世の村をあるくー紀美野町の歴史と文化ー」の図録です。オールカラーで203pp.

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図録表紙

「第三章 真国川流域をあるく」の「第三節 神人と山伏とー石走村ー」に円明寺村についての記述がありました。

 

円明寺村は細野荘の領域にあり、中世には石走村と呼ばれていたようです。

現在の細野地域(細野荘)は、中世には石走村(いしはしりむら)と呼ばれていました。神野・真国荘は東隣の鞆淵荘と石走村の領有をめぐって争いをします。そのため、石清水八幡宮の神人と、天野社の長床衆とが激しく戦った場所です。また荘園の内部でも、公文職をめぐって志賀野氏と長床衆とが争っていました。中世を通じて、係争地となっていました。

紀伊国名所図会」という書物にある円明寺村の絵図が載っていました。

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紀伊国名所図会 円明寺

調べてみると、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができるようです。

 

 

dl.ndl.go.jp

図録に載っていた部分は三編(三之巻)の42ページにありました。

(自分で一通り探しても見つからず、妻に探してもらったらすぐ見つかりました。。)

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三編(三之巻)42ページ

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細野郷

細野郷について書いてありますが、なんて書いてあるか読めない。。

 

この本はなかなか面白くて、

幽霊とか

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鶯梅

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美婦弓

龍とか

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寺院を火から守る龍と神様?とか

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火から守る

絵を見てるだけでも面白い。

いくつか更新しました。

①大竹家について北海道立文書館へのリファレンスの回答を追加しました。

kensuke1108.hatenablog.com

 

②平間家2(宮村)と大竹家の系図を追加しました。

kensuke1108.hatenablog.com

この宮村の平間家については子孫と思われる方にお手紙を出したところ、返事を頂けたので家紋が分かりました。菩提寺も教えていただいたので、また宮城に行く機会があれば訪れたいと思います。

私と妻の家系まとめ

ネットで見た形式で作ってみた。

養子に入っている先祖のところはどうするか迷いましたが、

実父母でなく家系的な父母を書いてます(平間たつの など)。

高祖父母までしか判明してない家系がちらほら。

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私の家系

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妻の家系

 

梅雨が明けて暑いですね。

妻の直系尊属まとめ、ランキングなど

妻の方もほぼ戸籍を取得し終わったので、

前に自分の方をまとめたのと同じようにまとめてみる。

kensuke1108.hatenablog.com

 

  • 戸籍から判明したご先祖
曾祖父母 8/8人
高祖父母 16/16人
五世祖父母 24/32人
六世祖父母 23/64人
七世祖父母 7/128人

 

  •  直系尊属(養子先含む)の名字ランキング(名字由来ネット調べ)

 

直系尊属の名字ランキング(養子含む) (名字由来net)
    全国順位 全国人数  
1 打矢 8949 870  
2 竹野 1724 9200  
3 石沢 1054 17100  
4 増井 973 18800  
5 小玉 856 22100  
6 吉井 486 40900  
7 窪田 396 51900  
8 庄司 357 56700  
9 梅田 334 63500  
10 武藤 242 90100  
11 角田 241 90800  
12 小野寺 228 94700  
13 高山 183 112000  
14 水野 105 173000  
15 武田 89 198000  
16 石田 59 264000  
17 藤原 48 294000  
18 金子 46 295000  
19 阿部 25 440000  
20 22 540000  
21 齋藤 19 463000  
22 佐々木 13 669000  
23 渡辺 6 1063000  
24 鈴木 2 1791000  

私の家系に比べると、比較的メジャーな名字が多いですね。

一番珍しいのは「打矢」。名字由来ネットによると秋田県、次いで北海道に多い名字らしいです。

この打矢家も秋田県の家系。

 

  • 北海道に入植した年ランキング

妻も北海道出身なので、いろんな場所から来ています。

北海道に入植した年 FROM TO
水野家 明治20年 富山県中新川郡弓庄村 樺戸郡浦臼
吉井家 明治28年 香川県阿野郡山内村 空知郡奈江村
増井家 明治33年 新潟県西蒲原郡横戸村 虻田郡弁辺村
斎藤家 大正7年 山形県飽海郡上郷村 釧路市川上町
梅田家 昭和6年 福島県双葉郡幾世橋村 白糠郡音別村
武藤家 昭和11年 福島県東白河郡高野村 白糠郡音別村
庄司家 昭和28年 秋田県由利郡下川内村 釧路市桜ヶ岡

一番早いのは水野家の明治20年。私の方は明治15年の大竹家でした。

私の方もですが、何故北海道に渡ってきたのか?は不明です。

 

  • 戸籍を請求した市町村と取得できた数
戸籍を請求した市町村 所得できた数
北海道釧路市 13
秋田県由利本荘市 5
北海道虻田郡豊浦町 5
福島県双葉郡浪江町 4
北海道砂川市 3
福島県東白川郡棚倉町 3
秋田県秋田市 2
山形県酒田市 2
山形県米沢市 2
新潟県村上市 2
北海道虻田郡洞爺湖町 1
北海道樺戸郡浦臼町 1
秋田県大仙市 0
新潟県新潟市 0
富山県中新川郡立山町 0
香川県高松市 0

請求したのは16市町村。妻の家系はあまり北海道内で移動してないから少ないのかな。

私の家系は21市町村でした。

 

 妻の方は、同姓に手紙を書いたり郷土史を調べてみたりは全然出来てないんだけど、

まずは自分の方を優先かなぁ。。

【玉置家】5世祖母の兄弟が・・

最近、玉置家が住んでいた奈良県吉野郡玉垣内村があった十津川村西区の区長さんにいろいろ調べて頂きまして、いろいろ分かりました。

 

その中でも、久しぶりなので軽いネタから。

 

私の5世祖母(母父父父母)の玉置こべんが十津川村の2代目、3代目の十津川村村長だった「玉置明亮」さんの兄弟だったそうです。

 

調べてみると、

十津川かけはしネットというHPの十津川探検~十津川人物史~というコーナーに玉置明亮さんについてかかれたページがありました。

www.totsukawa-nara.ed.jp

ここによると、「嘉永5年(1852)12月4日重里に生まれる。」とあります。

こべんのほうが13歳年上のお姉さんということになります。

 

残念ながらこべんが嫁いでくる前の戸籍は取得できてないので、戸籍で証明はできませんが、区長さんのいうことなので間違いではないと思ってます。

 

他になにか資料がないかと奈良県立図書情報館にレファレンスしてみましたが、詳しい資料はありませんでした。

【回答】
玉置明亮氏について、当館資料を探しましたところ、以下の資料に記述がありました。

『十津川人物史』(勝山毅著/出版:十津川村教育委員会
しかし、記述についてはすでにご覧になっている「十津川かけはしネットの十津川人物史」と
同じ内容にとなっております。

『文武館百年史』(文武館百年史編集委員会編)「第三章私立中学校文武館」には、設立者や館主、
村長として文書等に名前が記載されております。また「国立国会図書館デジタルコレクション」にて
公開されております、『徳育と智力』(戸水寛人
著)(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809047
p187(99コマ)にも村長として玉置明亮氏の名前が出てきておりました。
しかし、氏自身について詳しくは書かれている資料ではありません。

 

家系図に一人追加できたので良かったです。

宮城漫遊記2020

2020/9/19~9/20の1泊2日で宮城の先祖が住んだ地を巡ってきました。

 

9/19は朝4時半頃にマイカーで自宅を出発。

途中PA/SAで多めに休憩しながら北上し、10時頃に最初の目的地に到着

我が平間家が北海道へ移住する前に住んでいた宮城県柴田郡沼田村があった地です。

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沼田

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沼田

一面田んぼだらけで、のどかな場所です。

さっそく先祖の菩提寺と思われる「曹洞宗 自得寺」でお墓を探しました。

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自得寺

ここにあると思われるお墓は「平間家」と「村上家」。

ちょうど彼岸入りで墓参りの人が多かったので、なかなか調べにくく、

一旦離れて再訪問してみたりしながら探しました。

平間家については3基ありましたが、我が家に繋がるお墓は見つけられませんでした。

1基の平間家のお墓は、以前にお手紙を書いて連絡いただいた家のお墓で、家紋は聞いていた通り「丸に抱き茗荷」。

もう1基気になった平間家のお墓があり、こちらも法名碑に知っている名前は無かったのですが、家紋が「上り藤」。

北海道の祖父のお墓の家紋が「上り藤に違い鷹の羽」なので、もしかしたらこの家から分家した際に「違い鷹の羽」を加えたという可能性もあるのか?!

 

曾祖母・平間たつのの実家・村上家の方も直接我が家に繋がるお墓は見つけられず。

ただ、5世の祖父(父父母父父)・村上安兵衛の弟である村上庄五郎のお墓がありました。

家紋は「丸に橘」。

法名碑の庄五郎の名前のところに「八代目」と書かれていました。

ということは七代目までも分かっているのでは?

子孫と思われる方を探して手紙を書いてみようかと思います。

 

一旦離れている間に行ったのが「村田町歴史みらい館」。

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村田町歴史みらい館

どういう繋がりがあるのか分からなかったですが「楠木正成」の絵馬がありました。

柴田郡支倉村中と書かれているので、正成が立ち寄ったのでしょうか。

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楠木正成の絵馬

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松尾観音堂奉納

面白かったのがこれ。

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カマ神

カマド神というのは他の地方にもあるようですが、お面を飾るのはこのあたりだけの風習のようですね。

 

この歴史みらい館から歩いて行った「蔵のある町並み」。

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蔵のある町並み

次に向かったのは宮村臼久保屋敷があった場所。

ここは私の高祖母(父父父母)の実家の平間家が住んでいたと思われる場所。

ブログにコメント頂ける方から情報もらうことが出来たので、今回訪れる事ができました。

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臼久保屋敷

手前の石碑が気になりますね。もっと写真撮っておけばよかったと後悔してます。。

 

次に向かったのは同じく宮村の小妻坂、今の遠刈田温泉小妻坂。

ここは高祖母(父父母母)・なつの実家・我妻家が住んでいたと思われる場所。

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小妻坂

その後、再び沼田の地に戻りました。

平間家の家があったであろう場所を探してみました。

おそらくこのあたりに家があったと思われます。

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平間家の家があったと思われる場所

旧土地台帳から、明治47年にこの土地を手放しているのが分かります。

北海道へ移住したのが明治41年なので、5年ほど経ってもう北海道でやっていける!と思ってから手放したということでしょうか。

すっかり畑になっていて、家があった面影は一切残っていませんでした。

 

初日はここで終了。宿へ向かいます。

宿は遠刈田温泉ではなく、鎌先温泉の「すずきや旅館」

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すずきや旅館

家紋は「隅切り角に抱き茗荷」ですね。

夕食なしのプランしか予約出来なかったのですが、近くにお店あるだろうと考えていました。それが甘かった。。

向かいにカフェ的なお店はありますが、夕食を食べられるようなお店はなし。

夕食は旅館のロビーで売っていたカップ麺を食べました。

朝食は部屋食でした。THE旅館の朝食という感じで良かったです。

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朝食

二日目。

5世の祖母(父父母父母)せきの実家・小野家が住んでいた大谷村があったと思われる場所。

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旧大谷村

すっかり住宅街です。

ちかくにお寺があったのでちょろっとお墓を探してみましたが、

お墓参りの方が多くてちゃんと探せず、小野家のお墓は発見できませんでした。

タイミング悪かったですね。

 

次は曾祖父(父父父)の養子元・渡邊家が住んでいた船岡村。

渡邊家が住んでいたのがこの辺り。

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旧船岡村

この中に子孫の方と思われる方のお家があるのですが、もう住んでない感じでした。

前に手紙を書いてお返事頂けてないのですが、はたして読んで頂けているのかどうか。。

すぐそばに「恵林禅寺」がありました。

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恵林禅寺

ノーマークでしたが、ここが渡邊家の菩提寺ではないかと思いお墓を探してみたところ、高祖父(父父父父)・渡邊留吉と妻・けさよのお墓を発見!

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渡邊家

戒名が判明しました。

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渡邊留吉

この旅で初めてのご先祖のお墓です。ご先祖様はじめまして!

 

留吉の父・久蔵や祖父・儀七の名前はこのお墓にはありませんでした。

このように纏められた場所にあるのでしょうか。

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恵林禅寺お墓まとめられてる

このお寺は住職さんがいらっしゃるので、手紙を書いて久蔵たちのお墓があるか聞いてみたいです。曹洞宗なので過去帳の内容は教えてもらえないかもしれません。

 

終わりよければ全て良し、ということで最後にご先祖のお墓を見つけることが出来たので、嬉しい気持ちで帰ります。

 

帰り道に通る福島には妻のご先祖が住んでいた土地があるので、寄り道していきました。

まずは、西白河郡高木村があったと思われる場所。

ここは妻の高祖母(母父父母)タマの実家・角田家が住んでいた場所。

すごい山の中でした。

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旧高木村

もう一箇所、東白河郡小爪村があった場所です。

ここは妻の高祖父(妻母父父父)・武藤嘉茂之助が北海道へ移住する前に住んでいた場所。

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旧小爪村

集落に入っていくのが怖くて遠くから見るだけにしましたが、

改めて写真を見てみると、奥の方にお墓のような場所が見えます。

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お墓?

勇気出して行ってみればよかった~。次回の目的が出来たとボジティブに考えましょう。。

 

あと、なんとなく撮った石碑も改めて見てみると結構重要なことが書いてありました。

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小爪村石碑

簡単に言うと、河川を改良して区画整理した際に字区域が変わりましたよ、ということですかね。

森ノ前というのが武藤家が住んできた場所。現在どの場所なのかは今後の課題です。

 

これにて宮城漫遊記2020はおしまい。

今回はフットワークよく行動したかったので、妻と子供には留守番してもらいました。

次宮城に行くときは一緒にゆっくりと観光したいですね。

白石城とか蔵王きつね村とか、いろいろ行きたい場所あります。

 

ご先祖の住んだ土地巡りもまた行きたいですね。

近い順だと次は奈良県十津川村あたりです。ここは車で行けるかなぁ。

【村上家】宮城県柴田郡沼田村→北海道空知郡音江村→網走郡網走町大字藻琴村→川上郡熊牛村大字熊牛村→斜里郡小清水村

私の曾祖母・平間たつのの実家・村上家です。

たつのは私の父の父の母です。

 

戸籍上で最も古い村上姓の名前は、たつのの高祖父・村上養助です。

私から見ると7世の祖父です。

取得できた最も古い戸籍は5世の祖父・安兵衛の兄・庄五郎が戸主のもの。

その中に高祖父・幸之助が入っていました。

この戸籍には安兵衛の叔父・運治郎が居て、その父として養助の名が分かりました。

 

6世の祖父・村上直助はこの庄五郎の父として名前だけ判明。

5世の祖父・村上安兵衛は高祖父・幸之助の父として名前だけ判明。

 

高祖父・幸之助は安兵衛の長男として万延元(1860)年に宮城県柴田郡沼田村で生まれました。

我が平間家と同じ村です。平間家は沼田村の18番地、村上家は62番地でした。

幸之助は同じ村で顔馴染みであったであろう、平間よしのと結婚します。

明治20(1887)年、幸之助は27歳、よしのは18歳でした。

 

村田町史にこの村上家に関係あるかもしれない記述がありました。

沼田村には、伊達氏が、仙台入府の前から村上氏一族が住んでいて勢力を張っていた。伊達氏の代となると、村上家に二十七石、七人扶持が与えられた。そして、どの代かは分からないが、この待遇に不満で、武士をやめ江戸に出て石になったという。

注:この記は、沼田で、村上氏の一族である村上金栄氏によった。

この村上一族に関係あるのか、今後の調査課題ですね。

 

5年後、明治25(1892)年に私の曾祖母である村上たつのが生まれます。

明治43(1910)年、18歳になったたつのは母・よしのの弟である平間源左衛門の養子となり、北海道上川郡上名寄村へ。

 

明治21(1888)年に分家していた幸之助は、大正5(1916)年に北海道空知郡音江村に入植しました。入植した経緯はわかりません。

平間家が入植した上名寄の次に移住した雨竜郡一已村の近くなので、平間家を頼って北海道へ渡ったのかもしれません。

 

「音江村開村50年史」という本があるのですが、「日本の古本屋」で9800円と少しお高いので、ポチッと出来ません。

地元の図書館で取り寄せてもらおうかと思います。

 

翌年の大正6(1917)年、幸之助一家は網走郡網走町藻琴村に移住しました。

東藻琴村史によると

大正5年

未だ鉄道の便なきため、移住上、困難を感じたが、地味天候二つながら良好、土地広漠、山林良材に富む。大地積の出願、農牧業を企図するもの多く、これに因をなし、小農移民が増加した。このときの網走町の戸数は3084戸、人口は1万6962人を数えた。

より良い土地を求めて移住したのでしょうか。

 

その後、大正14(1925)年に川上郡熊牛村大字熊牛村字ヌマオロ原野に移住しました。移住の経緯は不明。

昭和9(1934)年、この地で幸之助が死亡し、二男・幸治郎が家督相続。

幸之助は75歳でした。

 

2年後の昭和11(1936)年、幸治郎一家は斜里郡清水村大字士別村に移住。

この経緯も不明。

私の高祖母・よしのがこの戸籍に居たため取得できました。

よしのは昭和12(1937)年、戸籍は小清水町のままでしたが宮城県柴田郡船岡村で死亡しました。69歳でした。

 

<村上家直系譜>

村上養助→村上直助→村上安兵衛→村上幸之助→村上(平間)たつの

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▲祖父母の代までの村上家系図

 

【小川家】広島と北海道を行ったり来たり

足取りが分かりにくかった母方祖母の家系・小川家

年表にしてみたので載せてみます。

 

小川家の足取りは、広島→北海道→広島→北海道という感じでした。一度戻った広島から再び北海道へ行くことになった理由は何だったのでしょうか。。気になります。

 

和暦 西暦 出来事 住んでいた場所
文化13 1816 6月17日、切田村・(便宜上初代)小川新十郎の三男・又兵衛誕生 又兵衛@広島
不明 又兵衛が郷原村・檜原元信の二女・リセと婚姻 又兵衛@広島
安政1 1854 10月25日、又兵衛(39)とリセ(31)の長男・又次郎誕生 又次郎@広島
元治1 1864 1月18日、又兵衛(49)とリセ(41)の二男・兼吉誕生 又次郎@広島
不明 又次郎が兼澤村・土井敬左衛門の長女・ロヨと婚姻 又次郎@広島
明治10 1877 9月19日、又次郎(23)とロヨ(21)の長男・唯吉誕生 又次郎@広島
明治15 1882 1月3日、又次郎(28)とロヨ(26)の長女・ミチヨ誕生 又次郎@広島
明治17 1884 7月1日、又次郎(30)とロヨ(28)の三男・秀夫誕生 秀夫@広島
明治18 1885 兼吉(22) 徴兵鎮台補充輺重輸卒 秀夫@広島
明治19 1886 兼吉(23) 第一豫備徴員編入 秀夫@広島
明治21 1888 3月28日、又次郎(34)とロヨ(32)の二女・マシ誕生 秀夫@広島
明治22 1889 9月20日、マシ(1)が夭折 秀夫@広島
明治22 1889 兼吉(26) 國民兵編入 秀夫@広島
明治23 1890 12月28日、又次郎(36)とロヨ(34)の四男・登誕生 秀夫@広島
明治24 1890 1月3日、登(0)が夭折 秀夫@広島
明治25 1891 11月12日、又次郎(38)とロヨ(36)の五男・一二三誕生 秀夫@広島
明治26 1891 1月12日、一二三(0)が夭折 秀夫@広島
明治28 1893 5月23日、又次郎(41)とロヨ(39)の六男・一三誕生 秀夫@広島
明治30 1897 6月3日、ミチヨ(15)が切田村・小川太一と婚姻 秀夫@広島
明治30 1897 唯吉(20)が徴兵 歩兵第二補充兵 秀夫@広島
明治34 1901 4月20日、又次郎(47)とロヨ(45)の三女・ミユリ誕生 秀夫@広島
明治36 1903 3月25日、又兵衛(87)が逝去 秀夫@広島
明治37 1903 9月9日、ミユリ(3)が夭折 秀夫@広島
明治38 1905 12月12日、兼吉(43)が北海道釧路国厚岸郡太田村字片無去番外地へ分家 秀夫@広島
明治41 1908 2月12日、リセ(84)が逝去 秀夫@広島
明治41 1908 4月16日、兼吉(46)が岩政周太郎の三女・ツルと婚姻 秀夫@広島
明治42 1909 8月19日、秀夫(25)が兼吉()の養子となり、太田村の戸籍に入る。 秀夫@広島→北海道
明治45 1912 2月10日、唯吉(35)が大星関太郎の長女・ハツヨ(21)と婚姻 秀夫@北海道
明治45 1912 2月10日、唯吉(35)とハツヨ(21)の長男・國人誕生 秀夫@北海道
大正3 1914 5月8日、唯吉(37)とハツヨ(23)の長女・トキミ誕生 秀夫@北海道
大正5 1916 4月7日、又次郎(62)が阿歴内の土地の貸付を申請する 秀夫@北海道
大正5 1916 4月26日、又次郎(62)が阿歴内の土地の貸付を許可される
川上郡塘路村字阿歴内原野南5線155番地
秀夫@北海道
大正5 1916 又次郎(62)が(おそらく唯吉も)北海道川上郡塘路村阿歴内に入植
「阿歴内原野」橋本勲 の大正五年の入植者に小川又次郎の記載あり
秀夫@北海道
大正5 1916 8月12日、唯吉(39)とハツヨ(25)の二女・チトセが
北海道川上郡塘路村阿歴内にて誕生
秀夫@北海道
大正6 1917 2月15日、又次郎(63)が北海道厚岸郡厚岸町真龍に於いて逝去 秀夫@北海道
大正6 1917 2月15日、又次郎死亡に因り唯吉(40)が家督相続 秀夫@北海道
大正7 1918 6月28日、秀夫(32)が兼吉(60)と協議離縁 秀夫@北海道
大正7 1918 12月5日、秀夫(32)が大竹勘兵衛の長女・ミツヨ(23)と婚姻 秀夫@北海道
大正7 1918 12月5日、秀夫(32)とミツヨ(23)の長男・茂雄が
北海道厚岸郡厚岸町大字梅香町にて誕生
秀夫@北海道
大正8 1919 2月28日、秀夫(33)が中黒瀬村大字切田 兄・唯吉戸籍より分家 秀夫@北海道
大正8 1919 4月6日、唯吉(42)とハツヨ(28)の二男・勇が
北海道川上郡塘路村阿歴内にて誕生
秀夫@北海道
大正9 1919 7月19日、秀夫(34)とミツヨ(25)の長女・セツが
北海道厚岸郡厚岸町大字若竹町64番地にて誕生
秀夫@北海道
大正9 1919 11月は15日、秀夫(34)家は北海道厚岸郡厚岸町大字若竹町から
広島県呉市今西通へ転籍
秀夫@北海道→広島
大正10 1920 5月10日、秀夫(35)家、広島県呉市今西通から広島県呉市大字和庄町へ転籍 秀夫@広島
大正10 1921 5月20日、チトセ(5)が呉市大字和庄鹿田通に於いて夭折 秀夫@広島
大正10 1921 5月21日、勇(2)が呉市大字和庄鹿田通に於いて夭折 秀夫@広島
大正11 1922 6月28日、一三(29)が大坪シメと結婚 秀夫@広島
大正12 1923 2月27日、兼吉(61)が北海道厚岸郡厚岸町大字真龍町に於いて逝去 秀夫@広島
大正12 1923 3月17日、秀夫(38)とミツヨ(29)の二女・清子が
広島県呉市大字和庄上古江にて誕生
秀夫@広島
大正13 1924 2月1日、名称変更に付 呉市古江町八番地に更正 秀夫@広島
大正14 1925 6月10日、秀夫(40)とミツヨ(31)の三女・芳子が
広島県呉市京町にて誕生
秀夫@広島
昭和3 1928 3月13日、秀夫(43)とミツヨ(34)の四女・トワ子が
広島県呉市古江町にて誕生
トワ子@広島
昭和3 1928 3月20日、秀夫(43)家は広島県呉市古江町から呉市西畑町に転籍 トワ子@広島
昭和5 1930 9月1日、一三(37)が賀茂郡中黒瀬村大字切田に分家 トワ子@広島
昭和6 1931 10月1日、ロヨ(75)が呉市下中町に於いて逝去 トワ子@広島
昭和6 1931 12月9日、唯吉(54)が呉市東畑町に転籍 トワ子@広島
昭和8 1933 4月20日、秀夫(48)とミツヨ(39)の二男・繁二が
広島県呉市西畑町にて誕生
トワ子@広島
昭和11 1936 7月14日、秀夫(51)とミツヨ(42)の三男・義美が
広島県呉市西畑町にて誕生
トワ子@広島
昭和14 1939 1月23日、秀夫(54)家は広島県呉市西畑町から
北海道根室郡根室町字大正町に転籍
トワ子@広島→北海道
昭和14 1939 5月27日、秀夫(54)が北海道根室郡根室町字大正町に於いて逝去
お墓は弟・一三が広島県賀茂郡中黒瀬村切田に建てた
トワ子@北海道
昭和28年 1953 5月20日、トワ子(25)が玉置富雄(26)と結婚 トワ子@北海道

 

年表にまとめる途中で、私の曾祖父である小川秀夫の兄・小川唯吉の子供が、本籍ではない地で生まれていることに気が付きました。大正5年、大正8年です。

 

本籍がある広島県ではなく、北海道川上郡塘路村阿歴内という場所です。

 

北海道へ最初に移住した小川家が本籍を置いたのは北海道厚岸郡であり、阿歴内ではありません。

 

気になったので阿歴内への入植について調べてみました。

まずは標茶町のホームページの歴史についてのページを見てみると、

https://town.shibecha.hokkaido.jp/gyousei/shibecha_gaiyou/rekishi/

大正4年 久著呂159戸、阿歴内11戸入地

 

阿歴内は明治40年 道庁が殖民区画を測定し告示した。しかし、この時の入植者応募はなかった。


大正4年 11戸の集団移民が入植したことがきっかけで、阿歴内の集落が形成されていった。

 

阿歴内に入殖した人々の生活を例にとると、最初につくった小屋は外側をバッタで囲み屋根は茅葺きで、中に大きな炉を設けて木の根を燃やして暖を取りました。
煙はすきまから出ていくのでそれほど苦になりませんでしたが、寒くてやりきれないときは炉の火を外へだしてその上に板を敷き、布団を上に敷いて寝ました。

あかりは焚火で間に合わせ、早めに床についたそうです。
夜はフクローがなき、近くには熊の足跡が無数にあり、心細い思いをしました。
狐などは昼間から目につき、カラスに弁当を風呂敷の中からとられたこともありました。
こうした苦労をしながら、広大な熊牛村の原野は次々と開墾されていったのです。
集団入殖をしたそれぞれの地域の開拓の特徴を紹介しましょう。
久著呂の青山奥左衛門の農場では、郷里の福井県からたくさんの小作人をつれてきて開拓にあたりました。
続いて徳島県から約80戸186名の大規模な移民団が入り、さらに久著呂川上流に宮城県からの団体が入地し開墾がすすみました。

 

この大正4年の11戸にいるのかと思い、もっと詳しい資料を探したところ、釧路の古本屋のホームページで「阿歴内原野」という短大の生涯学習センターのテキストを見つけたので購入しました。

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阿歴内原野

この中にご先祖の名前を発見しました!

曾祖父の兄・唯吉ではなく高祖父・小川又次郎の名前が、

大正5年の移住者の中にありました。

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五 阿歴内原野の移住者たち

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大正5年 小川又次郎

元資料である「北海道国有未開発地処分法完結文書」について調べてみると、北海道立文書館にあることが分かったので、リファレンスしたところ、下記のように回答頂きました。

お探しの小川又次郎さんの名前が確認できる資料について、
当館で保有する「北海道国有未開発地処分法完結文書」のうち、
下記の資料3冊にお名前があることが確認できました。

『処分法第三条特定地貸付台帳 川上郡塘路・阿歴内原野』(請求記号 A7-2 Bクシ63)
内容
・小川又次郎さんが土地の貸付を受けた年月日
 ~出願が大正5年4月7日、許可を得たのは大正5年4月26日
・貸付を受けた土地の番地
 ~川上郡塘路村字阿歴内原野南5線155番地
・貸付を受けた土地の最終的な処分
 ~大正10年に取消命令があり取り消し

『[処分]法[第]三[条]貸付許可書類 大正五年』(請求記号A7-2 Bクシ507)
内容
釧路支庁において土地の貸付を許可する決定書
広島県における戸籍謄本

『小地積異動関係書類 大正五年』(請求記号A7-2 Bクシ514)

ただし、大変申し訳ないのですが、当該資料は電子式複写(コピー)
不可の資料となっているため、写しを希望される場合は、北海道へ
いらっしゃるのは中々難しいかと存じますが、当館へ足を運んで
いただくか、どなたかに依頼して写真撮影を委託していただく
こととなります。

資料保存の観点からこのような取り扱いが定まっておりますので、
何卒ご了承ください。

 

リファレンスによって、土地の貸付に関する具体的な日付と土地の住所が分かりました。古い戸籍の写しもあるようです。

残念ながら電子コピー不可とのことでした。

地元の便利屋さんにお願いするか、いつか現地に足を運んで確認したと思っています。

 

大正5年に阿歴内の土地の貸付を許可されて移住し、

5年後の大正10年に貸付を取り消されていることがわかりました。

 

これは、「東藻琴村史」に書かれていたのですが、

国有未開地処分法による土地の貸付期間は、

貸付許可から10年以内で、5000坪未満は3年、15000坪未満は5年、30000坪以内は6年、60000坪以内は8年、100000坪以内は9年、それ以上は10年だったそうです。

この期間中に成功しなければ、返還を命じられたとのこと。

 

ということは、又次郎は15000坪未満の土地の貸付を受けたが、

開拓が成功しなかったので、返還させられたということでしょう。

 

もし開拓が失敗(開拓成功の基準は不明ですが。。)したことが、

唯吉と曾祖父・秀夫が広島に戻るきっかけになったとしたら、

再び北海道へ移住する際に根室郡に行くことはなく、

祖母・トワ子が祖父・玉置富雄と出会わなかったかもしれません。

そうすると、母は生まれておらず、私も生まれていなかったことになります。

 

ちょっとした気付きから、予想外の情報が続々出てきました。

こういうことがたまにあるので、先祖調べはやめられませんね。

私の直系尊属まとめ、ランキングなど

私の直系尊属の戸籍はほぼ取得し終わったので、まとめてみる。

 

○戸籍から判明したご先祖 
 曾祖父母               8/8人
 高祖父母           16/16人
 五世祖父母       29/32人
 六世祖父母       25/64人
 七世祖父母       1/128人

 戸籍以外の、親族からの情報や学術資料等で10代以上判明している家系は2つ 

 5世の祖父母あと3人なので、なんとか知りたいなぁ。

 

直系尊属(養子先含む)の名字ランキング(名字由来ネット調べ)

直系尊属の名字ランキング(養子含む)
    全国順位 全国人数
1 井ノ岡 45,404  50 
2 迎井 28,329  120 
3 前倉 23,915  170 
4 冨宅 17,841  280 
5 檜原 12,627  500 
6 田ノ岡 11,449  590 
7 岩政 9,307  820 
8 北垣 3,447  3,700 
9 2,988  4,400 
10 板東 1,983  7,800 
11 深瀬 1,701  9,400 
12 平間 1,196  14,700 
13 向山 1,183  14,800 
14 谷田 1,115  16,100 
15 安原 1,081  16,600 
16 我妻 1,028  17,800 
17 玉置 846  22,700 
18 中本 515  38,500 
19 大竹 322  66,000 
20 土井 297  74,300 
21 吉岡 151  136,000 
22 大久保 150  137,000 
23 千葉 91  193,000 
24 小野 55  279,000 
25 小川 30  396,000 
26 松本 15  627,000 
27 吉田 11  829,000 
28 渡辺 1,063,000 

 

 

○北海道に入植した年ランキング

北海道に入植した年 FROM TO
大竹家 明治15年 広島県佐伯郡井口村 厚岸郡若竹町
吉田家 明治38年 徳島県板野郡松島村 上川郡神楽村
平間家 明治41年 宮城県柴田郡沼田村 上川郡上名寄村
小川家 明治42年 広島県賀茂郡切田村 厚岸郡太田村
吉岡家 明治45年 奈良県吉野郡茄子原村 上川郡士別村
玉置家 大正3年 奈良県吉野郡十津川村 川上郡屈斜路村
上家 大正3年 奈良県吉野郡十津川村 川上郡弟子屈

 

 

○戸籍を請求した市町村と取得できた数

戸籍を請求した市町村 所得できた数
北海道川上郡標茶町 10
奈良県吉野郡十津川村 5
北海道川上郡弟子屈町 4
北海道厚岸郡厚岸町 4
北海道深川市 3
北海道士別市 3
宮城県柴田郡村田町 3
北海道北見市 2
北海道名寄市 2
北海道根室市 2
宮城県柴田郡柴田町 3
宮城県刈田郡蔵王町 2
奈良県五條市 2
和歌山県海草郡紀美野町 2
広島県東広島市 2
徳島県板野郡上坂町 1
広島県呉市 1
北海道旭川市 0
和歌山県田辺市 0
和歌山県紀の川市 0
広島県広島市 0

 

 

取得できた戸籍は私の家系で50通ほど。

死亡日が分からないご先祖の戸籍を請求しているところなので、

取得した戸籍の数はもう少し増える予定。

 

今後は妻の家系の戸籍を集めつつ、自分の家系の戸籍以上を遡るための調査ですね。

 

 

【大竹家】広島県佐伯郡井口村→北海道厚岸郡若竹町

私の曾祖母・小川ミツヨの実家・大竹家です。

ミツヨは私の母の母の母です。

 

戸籍上で最も古い大竹姓の名前は、ミツヨの祖父・大竹文四郎です。

私からだと5世の祖父になります。

ミツヨの父・勘兵衛の亡父として名前のみ分かっています。

 

広島県に戸籍を請求しましたが破棄されており、

北海道厚岸郡厚岸町のものが一番古いものでした。

 

広島県のご先祖が住んでいた地・井口には2軒の大竹姓のお宅があり、

手紙を出さなきゃと思っていましたが、出張が入ってしまったり、気力が無かったりで出せてません。。6月中には出したい。。

 

また井口の近くには大竹市があり、ここが大竹姓のルーツの可能性もあるのか・・?とも思っています。ここにも1軒大竹姓のお宅があるので手紙を出そうと思っています。

 

大竹家は明治15年広島県から北海道厚岸郡若竹町に入植します。

明治15年というのは私の家系の中ではダントツに早いです。

次が吉田家の明治38年ですから20年以上も早い入植です。

 

屯田兵かもと調べてみましたが、屯田兵名簿には大竹勘兵衛の名前はありませんでした。

この勘兵衛は元々「寅蔵」だったのを勘兵衛に改名してるのですが、大竹寅蔵でも屯田兵名簿には出てきませんでした。

 

厚岸町は東北海道では最も早く開拓されたところで、明治2年開拓使が置かれ、明治4年には佐賀藩から入植したようです。

 

下記のページによると、明治13年頃から海産物の売買が盛んになっていったようですから、そういった商売をするために北海道へ渡ってきたのかもしれません。

 

明治9年、場所請負商人の支配を引き継ぐ漁場持が廃止され、明治13年には、開拓使によって海産物の自由販売が認められるようになった。明治20年には水産税が軽減され、折からのニシン漁の豊漁も手伝い、水産業が興隆する条件が整えられていった。水産業が盛んになるにつれ、商業者も盛んに厚岸に出店するようになり、湾月町・若竹町を中心に商店街が形成されていった。 

 

www.akkeshi-town.jp

 

最近Google booksでご先祖の名前を検索するという技を覚えました。

 

大竹勘兵衛を検索してみると、殖民公報の第23~32号にそれらしき名前があることがわかりました。

 

早速購入して確認したところ、第25号の「明治37年末現在 北海道国有未開地 大地積貸付表」の釧路国區畫地に名前がありました。

厚岸郡茶内および浜中町に486,320坪の土地を借りていたようです。

目的地目は「牧」、備考に「牛蕃殖」とあったので、おそらく乳牛を育てていたんだと思います。

このあたりは厚岸町郷土史を調べてみるとなにか判るかもしれません。

浜中町にも大竹姓のお宅が一軒あり、しかも取得できた戸籍に出てくる祖父母の代の方と同じ名前なので、遠縁のお宅の可能性大です。こちらも手紙書かねば。。

 

<<2021.07.24追記>>

再びGoogle booksで検索してみたところ、「北海道国有未開地処分法完結文書」に記載がありそうなことが分かったので、北海道立文書館にリファレンスを依頼した。

数日後に以下のように回答を頂いた。

● 回答
北海道国有未開地処分法完結文書において今回確認できた「大竹勘兵衛」さんについての記載は、次のとおりとなります。
1,「釧路国厚岸郡(浜中村大字琵琶瀬村字)茶内原野及浜中村」の土地について
(1)明治35 年1 月に出願し、明治36 年8 月に貸付の許可を得たこと。
(2)貸付を受けた際の「雑貨商大竹勘兵衛」さんの住所については、
「北海道厚岸郡厚岸町大字若竹町六十四番地」であること。
(3)当該貸付については、他の方(川端嘉平という方です)と共同で出願し、許可を得ていること。
その他、貸付を受けた地積や貸付の期間など
参照資料
『北海道国有未開地処分法完結文書貸付台帳』(A7-1/B ホン/55)
『北海道国有未開地処分法完結文書貸付台帳』(A7-1/B ホン/62)
2,「釧路国厚岸郡浜中村大字浜中村字浜中五十三番地」の土地について
(1)明治42 年10 月に出願し、明治43 年8 月に売り払いの許可を得たこと。
(2)売り払いを受けた際の「大竹勘兵衛」さんの住所については、
「北海道厚岸郡厚岸町大字若竹町六十四番地」であること。
その他、売買価格や成功期限、目的地目(放牧地)など
参照資料
『北海道国有未開地処分法完結文書売払台帳』(A7-1/B ホン/103)
『北海道国有未開地処分法完結文書売払台帳』(A7-1/B ホン/120)
該当があった資料4冊は全て台帳であったため、戸籍謄本の写し等は添付がありませんでした。
3,上記で「大竹勘兵衛」さんの住所とされている「北海道厚岸郡厚岸町大字若竹町六十四番地」の土地については、土地の貸付等の記録は確認できませんでした。

大竹勘兵衛は雑貨商だったようです!

ただ、記載あるのは明治35年についてなので、明治15年に移住してきた目的、移住から明治35年までの間の足取りはまだ不明。

<<2021.07.24追記おわり>>

 

私の曾祖母・ミツヨは大竹勘兵衛・ワカの長女として明治29年に生まれました。

そして大正7年に、同じく広島県から北海道にやってきた小川家の三男・秀夫と結婚します。このときミツヨは23歳、秀夫は35歳でした。

小川秀夫は先に厚岸郡太田村に入植していた叔父の兼吉の養子となり明治42年に北海道にやってきました。同じ広島県から厚岸への入植という縁があったのでしょうか。

 

その後、私の祖母・トワ子が昭和3年に生まれるのですが、

戸籍では生まれた地が広島県呉市古江町となっており、このあたりの足取りは不明です。一度年表にまとめてみないと理解出来なさそうです。

 

<大竹家直系譜>

大竹文四郎→大竹勘兵衛(寅蔵)→大竹ミツヨ(小川ミツヨ)・・・